インカレロード
@長野県美麻村12.6キロ×13周=163.8km
【目標】
・石川さんと東よりも残ること。
8月11日に本番の美麻コース13周ペース走をしたとき、石川さんと東においていかれたことがショックでこの二人には本番で負けまいと誓った。
・西薗のアシストをすること。
集団の先頭付近での逃げのチェックと自分が補給を取って渡すこと。自分自身逃げに乗るかはともかく、この位置取りの結果完走が見えるだろう。完走目的で集団中盤にいても何も得られないことは明らかだった。
【レースレポート】
監督にユーラスをお借りし、ウィダー入りボトル2本とウィダー3本と羊羹4個を搭載し、ピストメンバーによって補給区間内4箇所に陣取られた万全の補給布陣の下、スタート。
166人の大集団は不安定でパレード走行中に落車が少なくとも2回起きた。一つは自分の前方で起きたため多少の遅れをくらったが復帰。1周に主に三つある登りのうちの二つ目の登りで正式スタートし、これと同時に一斉にダッシュがかかる。まだ先頭付近に出れず位置取りがままならないまま相当脚を使わされた上に、2周目の早い段階で法政の青柳のアタックに端を発する強烈なペースアップがあり、全力で追う羽目になる。これは直角コーナーのあとの平地で時速60を記録するほどのハイスピードで、自分は早くもオールアウトを迎えた。が、たまたまそれと時を同じくして集団のペースも落ち着いたため残ることができた。おそらく他のほとんどの選手もここでオールアウトに近い状態に追い込まれたと思われる。
3,4周目はとてもゆっくりとしたペースで皆せっせと食料を補給する。べらべらだべる。自分は集団先頭に上がり西薗と合流。ちょくちょく発生する逃げをチェックする。一つ目の登りを終えた後の緩い登り区間で西薗を含む8人くらいのやや大きな逃げができたとき、いわゆるブリッジ的なことをして集団から逃げに合流してみた。自分も牽いたが逃げ内の牽制ムードが抜けず結局それは吸収された。他に集団内では石川さんが先頭に近いいい位置で展開。東の姿も見える。
また、集団では王者辻本氏のアシストと思われる順天堂の選手たちが本人から指示を受けて動いているのが見える。自分は何度も西薗に補給が必要か聞いて合計でスポドリボトル2本ウィダー2本を渡した。自分はコーラが欲しかったので補給を受け取るときに次の周コーラ!とサポートに頼んだら次の周には全員がコーラを持って待っていた。糖分に救われカフェインで集中力を取り戻した。
先頭の6名の逃げから集団までの差が徐々に開き3分30秒ほどになったあたりから集団内に危険な匂いを感じた。5か6周あたりから登りで激しいペースアップが勃発するようになった。その激しさと言ったら、瞬間的な600W超えを何度も繰り返し、ホーム前の登りでは500Wで踏んでおいていかれた。 一つ目の登りの後の緩く長い登りでかかったときはずっと350Wを切る場面が見かけられず、しかもそのまま二つ目の登りに突入してさらに上がった。しかし、自分は連光寺350W4分ソリアを10本したり団地坂500W1分インターバル10本をクリアしてきたんだということを信じてひとつひとつ付いていった。先頭で展開していたことも助けとなった。中盤にいてかかったら反応が遅れて余計なダッシュを強いられただろう。これは先頭に出て牽く労力と比べたら圧倒的にハイリスクなことだし、これによりリタイアに追い込まれた経験が多数あった。先頭と1分30秒差くらいまで詰まったところで集団は一度落ち着いた。
しかしながら、限界というものはやってくるもので脚がどことなく攣りだした。太ももがいっぱいいっぱいでダンシング不能で座りながらペダリングを乱さないようハムストを意識して踏みまわした。次にダッシュがかかったら無理なことが自明だった。まだ、首都大の山村と信州大の出口が集団に残っており、大学から競技を始めたという点で数少ないライバルを前に死を間近に控えてしまったことが悔しかった。
一方、西薗がウィダーがないか聞いてきてないと言ったら脚が痙攣してきたと言ってきた。スポドリ飲めと言ったが集団中盤まで下がってきていた。
そして自分は7周目の二つ目の登りで集団から落ちた。特にダッシュがかかったわけでもなかったし補給も十分摂っていたが、この時点でこの負荷に耐えられる脚がなかった。380W程度の登りだったように思う。
その直後、西薗が立ち止まっていた。朽ちた自分にもまだ仕事が残っていた。こいつを引っぱることにした。踏むと攣るからゆっくり行こうと言われた。こんなセリフは聞いたことがなかった。前から降ってきた京都産業一人と共に三人で回した。先頭から3分30秒差との情報。先頭から10分差で失格となるはずだったので残り4周を7分差以内で耐えることが任務となった。これは6月の個人ロードの苦闘に似ていた。残り50キロをはいつくばって走っていくのは本当に苦しい。もし自分が遺書的なものを書くとしたら、単なる延命治療は望まないと書くだろう。しかし、このインカレという舞台の完走がその先に待っているのならば進む覚悟だ。
鹿屋の黒川監督がまだまだ全然行けるぞ西薗がんばれと檄を飛ばしていた。それ東大がんばれ、そんな声がいたるところから聞こえた。しばらくして早稲田の続谷が降ってきたがそのまま落ちていった。また早稲田の十時が降ってきて、彼も上位を狙えるはずだが攣ったらしい。合流して四人で回した。そして東工大の安藤さんが降ってきて、付くことなく落ちていった。順天堂の加藤が降ってきて合流した。3周半残して先頭から6分30秒差がついて絶望的だった。10周走りきったところで赤旗を振られて終わった。インカレが終わった。
【感想】
パレードの落車の嵐をかいくぐり、スタート直後の分の悪い位置取りによる早すぎるオールアウトからの絶望感の中で修正し、先頭で展開し逃げに乗ってみたりもしアシスト業もこなし強烈なペースアップにできる限り耐えて完全燃焼まで走ることができたので、できることはすべてやったということで満足している。各大学の名だたる選手たちの中で走り可能な範囲で動きもしたので楽しいレースだった。今までの、集団の中にいてどこまでついていけるか、その先の完走だけが目標だった時期のレースとは明らかに違った。
166人出走したくせに完走13人と容赦のないレースだった。順位はつかなかったが残った面子を見るに自分はだいたい30番台で4月のチャレンジロードに始まった今シーズンを通して相変わらずだった。自分も練習するが周りも練習する。学生自転車競技全体のレベルが上がってきている中で戦績を向上させるのは難しいが、月にたった1200キロの練習で彼らと同じ伸びを得られたのなら自分はうまくやったと思える。しょせん趣味なのだから、できる限りの準備と本番の完全燃焼に達成感を得て自分の成長に満足すればいいと思う。
【反省】
・コーラ補給は即効性があり元気になった気分になれるのだが、電解質が足りず攣り始めを早めてしまったかもしれない。スポドリ補給も大切だ。
・本番を想定した高負荷な練習ができていなかった。今回のような急激なペースアップをレース本番で初めて体験したのではそう何回も耐えられるはずがない。団地坂なら600W、連光寺ソリアなら東側350W西側380Wが必要だ。
・ゼリーの補給に関してはウィダーかアミノバイタルを使いたいと思った。今回使ったドラッグストアで98円の安い類似品では成分が劣る。こんなところで節約するべきではない。初期装備に自分で買った三つのアミノバイタルを使ったが回復度が違うと感じた。何のためにOBが寄付を出してくれているのだろうか。
【今後】
9月ツールド北海道完走
10月なかよしのスバルラインTTで記録更新、ジャパンカップ完走
11月六大戦ピストでなんかしら記録を残す
12月六大戦チームロード2位以内
P.S.高岡さんのレポートを読むに乗鞍もレベルが上がっているようだ。読む限り、藤田さんの安定した走りが光っているように思える。
http://d.hatena.ne.jp/RoppongiExpress/20080831#p2