全日本学生個人ロード選手権@長野県木祖村again!
奥木曽湖周回9km×20周+1km=181km
木曜に体調崩してダウンして、しかしながら急に回復してDNSは免れ、中途半端な体調で臨むことに。
しかし、このレースはやはり生半可な気持ちでどうにかなるものではなかった。
前日入り。
強烈な雨。そこらじゅうに滝ができて斜面には川が流れる。こ、これは。。
体のだるさは消えたが胃袋の調子が戻らない。お世話になってかれこれ3年目の土川館のあんなにうまい晩飯を残す。
朝飯もご飯半膳も食えない。これでは間違いなく今日はタイムリミット付きの走りになりそうだ。
ってか今日は雨ではない。
豪雨だ。
トンネル内でみんなでぶるぶるしながら定刻スタート。
傍から見たらこれはどんな宗教法人の、あるいはどんな伝統祭りのどぎつい儀式にも負けない。何ものかに突き動かされた150人の男たちがほとんど半袖短パンで標高1000mの5月の豪雨に飛び込んでいった。
カオス。
周りの走者との間隔の制御に必死。それとトラップ的に各所に配置されたマンホールに乗らないこと、排水溝には垂直に入ることに気をつける。死にたくないという本能がずるずると集団内位置を下げる。本コース唯一の上りでとにかく踏んで少しでも前にでる。下りはこれまたカオス。ちょっとかけた感じでは全くブレーキが効く気がしないのに集団のまま時速60の下りに突っ込む。これにはきっと旧日本軍もびっくり。ダムの橋は濃霧で視界が5メートルくらいしかない。
あぁおとなしくDNSしておけば東京でぬくぬくしていられたのに。。後悔の一心。
白い闇の中から声援だけが聞こえる。
いかん前に出ねば。
何も見えない中でどさくさにまぎれて前方で集団が分裂した模様。とにかく上りでもがいてパラパラ降ってくる人たちをかき分けて、前へ。
3周目途中でペースの緩んだ先頭集団を視界に捕らえる。集団28名、前30秒なんて声も聞こえて希望が漲る。
その間でできたてほやほや落車現場を通過。どさくさにまぎれて集団に合流できた。よし、まず序盤のサバイバルに生き残った!西薗は定位置に陣取っているがさすがにこの天候ではけん制状態??ここからはきっと10周目くらいまでペースが落ち着…と思ったら上り区間で京都産業がアタック。おいーーーー泣
皆追従。自分追従不能。
またまた小集団を形成して先頭を追う展開に。
本腰を入れて長期戦覚悟で追わないと、とゼリーを飲み込んでみるものの吐きそうですぐに口の中が強酸性に。。役に立たん。
しばらくローテ回していると、なんと西薗選手立ち往生!息絶え絶えのアシストここぞとばかりに止まる。
パンクした後輪はもらえたがうまくはまらない模様。エバディオの致命的欠点がここで。。
後続にどんどん抜かれてから再スタート。全力で牽引して一度先頭を替わってそのままさようなら。日大榎本選手とともに上がっていった。
実はまだ13周とか残っているのにもう完全にお亡くなりモード。後続列車に便乗して延命するが、その次の周あたりで急な体温低下に見舞われ自らローテをはずれて遅れる。生命の危機を感じるが最低10周はしようと思い地味に進む。
ボトルはもはや使えないので満タンボトルを捨てる。
けが人搬送中の救急車でカーペーサーしながら、落車やパンクで走れない人たちがいるのに無傷な自分がタレまくっているのが残念だった。
体温低下がひどくてもう降りたかったが11周目に入ってしまった。ぶっちゃけもう降ろしてほしいっすよね、という同志と激タレローテを組んで12周目でリタイア。
自分が自ら降りた集団が統率のとれたグルペット集団と化し完走した。一緒に練習することが多かった信州大が二人完走しているのがショック。応援している人たちに申し訳なくあわせる顔がなかった。
最悪のレースだったが体調がふつうなら少なくともグルペット集団で完走できたはずだ。しかし最低の走りをした自分にそんなことをぬかす資格はない。
無謀にも突入した3週連続レース。完全に息切れして終わった。
平日は修論に向けてプレッシャーが肥大化し、休日は超早朝始動でさらに体力的にきつくついにつぶれた。大潟村に向けての3週間はレースがないので落ち着いて準備ができる。しかしあの過激な朝練によりまたつぶれる可能性もあるので体調管理がとっても大事。特にチームロードだけにミスは許されない。
とりあえず今週はたまごっち導入にあずかってメディオ週間にしよう。
5月の走行距離:1703km
奥木曽湖周回9km×20周+1km=181km
木曜に体調崩してダウンして、しかしながら急に回復してDNSは免れ、中途半端な体調で臨むことに。
しかし、このレースはやはり生半可な気持ちでどうにかなるものではなかった。
前日入り。
強烈な雨。そこらじゅうに滝ができて斜面には川が流れる。こ、これは。。
体のだるさは消えたが胃袋の調子が戻らない。お世話になってかれこれ3年目の土川館のあんなにうまい晩飯を残す。
朝飯もご飯半膳も食えない。これでは間違いなく今日はタイムリミット付きの走りになりそうだ。
ってか今日は雨ではない。
豪雨だ。
トンネル内でみんなでぶるぶるしながら定刻スタート。
傍から見たらこれはどんな宗教法人の、あるいはどんな伝統祭りのどぎつい儀式にも負けない。何ものかに突き動かされた150人の男たちがほとんど半袖短パンで標高1000mの5月の豪雨に飛び込んでいった。
カオス。
周りの走者との間隔の制御に必死。それとトラップ的に各所に配置されたマンホールに乗らないこと、排水溝には垂直に入ることに気をつける。死にたくないという本能がずるずると集団内位置を下げる。本コース唯一の上りでとにかく踏んで少しでも前にでる。下りはこれまたカオス。ちょっとかけた感じでは全くブレーキが効く気がしないのに集団のまま時速60の下りに突っ込む。これにはきっと旧日本軍もびっくり。ダムの橋は濃霧で視界が5メートルくらいしかない。
あぁおとなしくDNSしておけば東京でぬくぬくしていられたのに。。後悔の一心。
白い闇の中から声援だけが聞こえる。
いかん前に出ねば。
何も見えない中でどさくさにまぎれて前方で集団が分裂した模様。とにかく上りでもがいてパラパラ降ってくる人たちをかき分けて、前へ。
3周目途中でペースの緩んだ先頭集団を視界に捕らえる。集団28名、前30秒なんて声も聞こえて希望が漲る。
その間でできたてほやほや落車現場を通過。どさくさにまぎれて集団に合流できた。よし、まず序盤のサバイバルに生き残った!西薗は定位置に陣取っているがさすがにこの天候ではけん制状態??ここからはきっと10周目くらいまでペースが落ち着…と思ったら上り区間で京都産業がアタック。おいーーーー泣
皆追従。自分追従不能。
またまた小集団を形成して先頭を追う展開に。
本腰を入れて長期戦覚悟で追わないと、とゼリーを飲み込んでみるものの吐きそうですぐに口の中が強酸性に。。役に立たん。
しばらくローテ回していると、なんと西薗選手立ち往生!息絶え絶えのアシストここぞとばかりに止まる。
パンクした後輪はもらえたがうまくはまらない模様。エバディオの致命的欠点がここで。。
後続にどんどん抜かれてから再スタート。全力で牽引して一度先頭を替わってそのままさようなら。日大榎本選手とともに上がっていった。
実はまだ13周とか残っているのにもう完全にお亡くなりモード。後続列車に便乗して延命するが、その次の周あたりで急な体温低下に見舞われ自らローテをはずれて遅れる。生命の危機を感じるが最低10周はしようと思い地味に進む。
ボトルはもはや使えないので満タンボトルを捨てる。
けが人搬送中の救急車でカーペーサーしながら、落車やパンクで走れない人たちがいるのに無傷な自分がタレまくっているのが残念だった。
体温低下がひどくてもう降りたかったが11周目に入ってしまった。ぶっちゃけもう降ろしてほしいっすよね、という同志と激タレローテを組んで12周目でリタイア。
自分が自ら降りた集団が統率のとれたグルペット集団と化し完走した。一緒に練習することが多かった信州大が二人完走しているのがショック。応援している人たちに申し訳なくあわせる顔がなかった。
最悪のレースだったが体調がふつうなら少なくともグルペット集団で完走できたはずだ。しかし最低の走りをした自分にそんなことをぬかす資格はない。
無謀にも突入した3週連続レース。完全に息切れして終わった。
平日は修論に向けてプレッシャーが肥大化し、休日は超早朝始動でさらに体力的にきつくついにつぶれた。大潟村に向けての3週間はレースがないので落ち着いて準備ができる。しかしあの過激な朝練によりまたつぶれる可能性もあるので体調管理がとっても大事。特にチームロードだけにミスは許されない。
とりあえず今週はたまごっち導入にあずかってメディオ週間にしよう。
5月の走行距離:1703km
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