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実家に一時帰還。

寮生活が始まっておりますが、またネットが開通してないので日記書けません。
今日は鶴見から追い風の多摩川側道をぶっとばして帰還。必要なものを取ってこれから寮に戻ります。

鶴見駅前の西友の「圧倒的な安さ」を味方につけて自炊していますが、まあいつまで続くかといったところ。
一駅電車に乗って川崎に出ればなんでもあるといった印象。
ヨドバシで冷蔵庫など一通り買ったらその日のうちに家に配送されたのが驚きだった。
いまは買い物に奔走し、毎日両手いっぱいに荷物を引っさげて駅から寮までの1キロをのさのさと歩く日々。

寮ー実家往復自走80キロ

あとIH買ったので部屋で鍋でもチーズフォンデュでもできるのでカモーン
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2010.03.28 Sun l つれづれ l COM(1) TB(0) l top ▲
3/9
Dubendorf->Chiasso->Como->Bellagio->Ghisallo->Asso->Milano
 のんびりした3泊からうって変わって今日は豪快に移動する一日。チューリッヒからひたすら南下してイタリア国境をめざす。スイスパスの有効範囲がよくわからなかったので一応国境直前の街Chiassoで一度降り乗車券を買い直した。ついでに街を散策したがあたりはすっかりイタリア語になっていた。
 コモへ出てコモ湖湖畔の街ベラッジョ行きのバスを探す。時刻表を見るに1時間以上あったので街をぶらり歩く。
 始発場所にもかかわらずバスは当然時間通りには来ず、10分近く遅れてきた。乗ろうとするとチケットはないのか、待っててやるから(指差して)そこの店で買ってこいというようなことを言われた気がした。しかしその指差す先には喫茶店があるだけでよくわからずてんぱっているとなんとバスの運転手が降りてきてここだぞ、ここでベラッジョって言えと教えてくれた。そんなばかなと思って喫茶店のおばちゃんに言うとなんとチケットを買えた。わお。ソーリーソーリーお待たせしました。運ちゃん、神。
 そしてバスはさらに遅れる。
 バスはコモ湖沿いの狭い道を進んだ。すれちがいは毎回ひやひやものだが運ちゃんは熟練技でかわしていく。対抗のバスがくるとなんと停車して運ちゃん同士なにやらしゃべり始めた。後ろめっちゃ車がつっかえてるのに。。
 ベラッジョについてギザッロ峠方面のバスの時刻表をみて唖然。3時間後。。ベラッジョの街はピザ食ったりお土産かったり歩いて楽しめたがそれでも時間を持て余してしまう。しかし、ひとつやるべきことがある。この町の中でバスのチケットを売っているところを探さねばならない。ここには鉄道はなく、コモ湖を遊覧するフェリー乗り場がもっともオフィシャルな感じを醸し出していたのでいくと英語であそこのnewpaperを売っている店で買えるよと教えられる。これはもう絶対聞かないとわからないところで無事にゲットした。
 歩き回っているうちはいざ知らず、立ち止まっていると体が冷えてくる。フェリー乗り場の待合室でバスを待った。時間になってももちろんバスは来ない。通りを眺めて待っていると10分ほど遅れて現れた。途中で降りるということは社内放送なしの状況では難しいため、乗り際に運転手にギザッロまでねと伝えておく。ここからバスは内陸に入り峠道を上っていく。バスで上ったわけだが勾配は意外にきつく感じられた。バスに揺られうとうとしてしまったというかふつうに寝てしまったが、ギザッロ着いたよと運ちゃんが教えてくれて無事降車。
 まず気温が低い。標高700mちょいとそれほど高い峠でもないが下界とは差がある。振り返ればそこには小さなギザッロ教会が佇んでいた!教会には中に飾られた往年の名選手の品々は正直よくわからなかったが、この名を冠した自転車を駆る自分としては全身でご利益をいただいた気がした。自販機で売っているポストカードとプラスチックカードを乱発しているうち、数人の訪問者があった。併設の自転車博物館は本日休館で入れなかった。ついてない。そういえば堺にあるシマノのそばの自転車博物館を訪れた時も休館日だったな。
 だいたい見たのでバス停でバスの時間をよくみるとこのバス停の時刻表が設置されていなかった。ベラッジョで見た時は1時間後に次便があったと記憶したので待つ。
 待つ。まあ遅れることはデフォルトなので気長に。
 寒い。夕暮れ時になり、標高が高いこともあってぐんぐん冷える。いまは当然氷点下だろうね。
 待つ。しかし予想時刻を30分過ぎても現れない。なんか見間違えたかな。一度教会にもどって暖をとろうにもそのスキにバスがいってしまっては元も子もないので動けない板挟み。それにここはイタリアなのでバスが遅れているのか何かの勘違いで来ないはずの便を待ってしまっているのか判断しかねる。
 暗くなってきた。ほんわか雪が降ってきた。風も出てきた。なんとか発熱しようその場で足踏み。しかしそろそろ生命の危険を感じ始める。
 3月のイタリア北部の山の中でひたすらバスを待つが来る気配がない。ときどき通る乗用車は何事もないかのように通り過ぎる。お、ここはヒッチハイクに踏み切るべきか。否か。。
 いい加減やばくなってきたので、もしかしたら歩いて麓のアッソの町までいけはしないかと看板を探してみると、「Asso 3.2」の文字。単位はよくわからないがたぶんkmだろう。これなら最悪1時間で着ける。待ちくたびれ行動しなければいてもたってもいられなかったのでおもむろに歩き出した。
 野良犬の遠吠えなんかがして不気味な感じ。ってかもうさすがにヒッチハイクしかないんじゃない?と思ったそのとき、道沿いに小さな商店が現れた。おっちゃんにアッソまでの距離を聞くと、15kmくらいかなとの回答。お、終わった。バスのことを聞くとすぐそばのバス停から15分後に出るよとの神の声。そのバス停にはちゃんと時刻表があった。想像するに、この時刻表には平日休日の運行便が同列に書かれていてFerr.6というのが平日を意味しFestが休日を意味するのだろう。すると自分が次便として来るだろうと期待していた便は休日便のことだったのだ。かくして次のバスは時刻表からわずか3分の遅れで到着し、何事もなかったかのようにアッソの駅に到着した。
 さて、あとはミラノ市内に予約したユースに行くだけ。最寄りの地下鉄駅を出てから例によって迷ったが人に聞きまくって発見。受付のお兄ちゃんはこれまた気前のいい人で、自分はパソコンないけどネットがしないというと貸し出し用のパソコンはないけどこれを使いなといってなんと受付カウンターのパソコンを明け渡してくれた。ありがとう。今日のドミトリーはスイスとはうってかわってなんと4人中3人が日本人だった。

3/10
Milano->Venis (Venezia)
 同時期に卒業旅行でバックパッカーをやっている同期のhsgwとの待ち合わせは10日の12時にベニス駅そばのローマ広場。ミラノからベニスまでの電車は余裕をもって50分前着に乗ったがみごと期待に応えて50分遅れてくれた。ここで今回初めてレンタル携帯を使って連絡をとりあった。この町での動きはすべておまかせ。
 スイスは寒かったが、イタリアのこっちのほうは暖かいだろうと期待し、電車に乗りながら雪が雨に変わって行く様をみてほっとしていた。しかし結局ひたすら寒い。雪がぐちょぐちょになって歩くとすぐに靴に浸透してたまらない。町を歩く気力もないし、天気予報が翌日の晴れを予言していたので宿に地ワインと地チーズを持ち帰り、体を暖める。

3/11
Venis
 晴れ。しかもぽかぽか陽気だ。こうでなくちゃ!今日は街中をひたすら歩き回った。ベニスは歩き回るにはちょうどいい大きさだ。水上バスや土産物屋のあちらこちらから日本語が聞こえてくる、定番観光地のようだ。ピザを食って、ワイン好きにワインの解説をご教授いただき、チーズとサラミをむしゃむしゃ。

3/12
Venis
 最終日。朝、hsgwの飛行機に合わせて早めに空港に着く。朝飯と見送りを終えて一通りゆっくして時計を見るとまだ出発まで3時間もある。余裕をかまして手続きに向かうと。。

 Your flight is canceled.

 はい?
 まさかのストライキにひっかかりましたとさ。
 今日はもうダメだから明日飛べとさ。
 宿泊代は出さねーよとさ。

 まあ自分は旅行の身だからまだいいけどさ。仕事で来ている人間はたまらんわな。ってか自分も帰国予定の翌日に引っ越しの荷物の引き取りに立ち会わにゃいかんかった。間に合うのか!?当日朝成田に着いて速攻電話すれば大丈夫な時間なのでとりあえずこのことは忘れる。
 代替案としてベニスでもう一泊か、中継地のパリで一泊して翌日の同じ便に乗るかの二択を示された。パリは空港から市街まで遠かったので諦めてベニスもう一泊することにした。

 市内に戻り、前日泊まっていたユースのお姉さんに泣きを入れてシングルだと40€のところを30€で宿確保。飲む相手もいなくなってしまったので夜にバーに突入したら客は英語全く通じず。。バーのおっちゃんは微妙にしゃべる。お互い片言くらいがいちばん気楽でいいや。イタリアにおいてもツールドフランスは格別であり、チッポリーニやパンターニは人気が高いが世界戦などで勝ったベッティーニは意外と評価されていないなぁと思った。あとシマノはマウンテンバイクでカンパはロードというイメージらしい。しゃべるうち一杯分の値段でいいよと言いながらやたら注がれ、ついにDOCG級のワインも登場して店員もいっしょに飲み出した。途中で警官が二人はいってきて、まさか飲むのかと思ったがさすがに立ち話をして、しかしその立ち話はやたら長く、11時の閉店とともにお開きとなった。

3/13
Venis->Paris->成田(3/14)->国分寺
 今度こそ飛行機に乗るぞ。無事にチェックインを済ませる。荷物はリュックサックと手持ちのなるしまバッグがあるが、lost baggageという無用のトラブルを避けるためすべて機内持ち込み。ペットボトルの水を飲み捨てる。
 時刻通り動いているようでなにより。順番に搭乗口から乗り込んでいくがここでまさかの自分だけ待ったのサイン。。理由をよく聞き取れないがとにかくwait hereらしい。ほとんどの客はふつうに乗り込んでいくが一部の客が同じようにはじかれていることに救いを求める。日本人の女の子がはじかれていたので聞いてみるが同じくよくわからず。その子もストライキで一日遅れたらしく毒を吐き合いながら待っていると客が一通り流れた後に通してくれた。ほっ。
パリまでの途中、アルプス山々を望んだ。あまりにきれいで人間は空を支配したんだな、などとふと思った。所用2時間の大半は爆睡。乗り継ぎ後成田まで11時間は到着が朝のため寝る必要があった。窓側席だったが隣のおばちゃんはcookやhospitalityを教える教授らしく30人の学生を連れてきているらしく、学生とおばちゃんがやたらしゃべっていた。それでもモニターでThis is itを見ながら注文通り眠りについた。。
 朝9時着。今日は引っ越しの荷物を回収しに業者が家に来るので極力早く帰らねばならない。学割証を持っていなかったのが痛いが時間を買わねばならないので成田エクスプレスですっ飛んで3時間で帰宅。そういやベニスで会った女の子と成田まで一緒でけっこう仲良くなったのに連絡先を聞き忘れた。アホ、俺。
 引っ越しは無事に間に合った。飛行機で寝まくったおかげで時差ぼけはほぼなし。リュックサックの中身を入れ替え翌日の自転車部鴨川合宿の準備をし出しましたとさ。


費用
航空券:11万
その他宿泊費食費など:8万(11泊13日)
計19万



鶴見の新居にて

2010.03.24 Wed l 旅行 l COM(0) TB(0) l top ▲
序章
 学生最後の休みに旅行に行こう行こうと思いつつ時間が過ぎてしまいまとも考え出したのが修論も佳境の1月末。自転車はなしで単独バックパッカーをやろうと考えていたが特に絶対行きたいところというのもなかったのでどうしたものかと考えあぐねていた。ふとスイスに留学中の友人nkhrがいたことを思い出し連絡してみると泊めてくれるとのことだったのでここに立ち寄ることを決めた。そして日程は、逃亡してももっとも支障の少ない3月上旬の10日間くらいに決めた。nkhrがスイス現地人しか買えない国内鉄道乗り放題チケットを代理購入してくれると提案してくれたので、この際スイスを鉄道で回りまくるという旅のコンセプトが決まった。また、同期で自分より早く修論を終え同じくバックパッカー旅行に出る友人がベニスでの現地合流を提案したので加えた。提案された日程的にベニスを現地での最終地点とした。ふとイタリア北部に自転車の聖地ギザッロ教会があることを思い出し、調べてみるとアクセスはそれほど良くはなさそうだが、がんばって立ち寄ることにした。
 それくらい考えるといよいよ現実味を帯びてきた。あとは旅の出発地点を決めねばならない。友人宅があるスイス東部のチューリッヒに流れ込むにはスイス西部から国内を横断するのがいい。地図でさらに西部を覗いてみるとフランスのリヨンが国境から100キロ程度の距離にあった。昔テレビでリヨンを紹介していて、朝市の活気があって面白そうだったとの記憶があったので出発地をリヨンに決めた。
 そう、肝心な航空券を確保していない。割高覚悟だ。とりあえず大学生協の窓口にいっておばちゃんに相談。そこのおばちゃんが当たりで、3月1日発3月13日着と場所の希望を言ったら前後の日程、周辺の空港含めてスパパパっと調べて二つの便を提示してくれた。保留してHISの窓口で同じことを聞いてみたらこちらははずれで検索速度が5分の1以下だった上同じような便で提示された金額が数万高かったので勝負あり。往復コミコミで11万円也。かくして大枠が決まった。
 スイス国内をどう回ろうか考えるために地球の歩き方を買って電車で読みつつ思いを巡らす。しかし決め手に欠く。同期のusuiさんが以前に示したスイス名所から位置的にGrindelwaldを選び、またポスドクnsさんのすすめでGruyeresを加えた。全面凍結した湖でスケートをしたくて調べると北西部のジュラ地方にありそうだったが、1月2月に開放しているとの記述で3月上旬が微妙だったことと位置的に厳しかったので却下。古都でオリンピック本部があるとかでLausanneを加えて適当にユースを予約した。宿は初日だけ決めてあとはその都度決めようかと思ったが、実はこの旅の現地での自由度は少なく、心配性が出て結局全日決まった状態で出発した。
 荷物はリュックサック一つに収まるようなるべく少なくした。自転車乗りの本領が発揮されたせいかその少なさに誰もがコメントした。荷物は着ている服の他に、靴下パンツアンダーシャツ2つずつ、パジャマとしてジャージズボン一つ、本2冊、メモ帳、デジカメ・自分の携帯・レンタル携帯とその充電器、財布三つ、パスポート、歯ブラシ、シャンプー、ボディソープ、髭剃り、常備薬、スリ対策として空港で買ったウエストポーチ、帰りにお土産を入れるためのなるしまバッグ、折り畳み傘、タオル2つ、日本みやげとして焼酎一本、スルメ、ユースの予約表や地図等印刷した紙を入れたA4ファイル一つ。結局最後まで使わなかった荷物として、友人に自転車借りるとき用にチューブ2本、ブログに写真アップのためのカードリーダー、飛行機対策として百均のエア枕。


3/2
国分寺->成田->Amsterdam->Lyon
日暮里から京成線特急を使い1500円で成田へ。時間があまったので飛行機で読む文庫本を探していたら、Saint Exuperyの夜間飛行を発見。リヨンの空港は地元出身の彼にちなんでSaint Exupery空港という名前になっているということでこれに決定。飛行機は無事に飛んで、景色を眺めたり本読んだり手書きで論文原稿書いたりして過ごす。
 Amsterdam乗り継ぎで22時過ぎにリヨン着。さて、ここからユースに行かねばならない。調べておいたシャトルバスで市内の最寄りバス停まで。ここから2キロあるが最悪歩くことを覚悟で来たら路面電車(トラム)と地下鉄がある。路線図とにらめっこをしたり、結局歩いた方が早いのではと思い何人かに道を聞いたりしてみるがなかなかわからない。なんかもうこのまま朝になってしまってもいいのではという気がしてくる。それでもなんとか最寄りのトラム駅に着いた。深夜まで走っているので助かった。しかし深夜に街をうろついているお兄さんたちは正直怖い。着いた頃には1時を回っていた。24時間受付の宿にしておいてよかった。あと治安が良くてよかった。

3/3
Lyon
 連泊なのでデジカメと財布とパスポートのみ持って出かける。7時でもまだ暗い。朝飯バイキングに出されているパンが硬い硬い。ナイフで小さくばらばらにしてから食べないと口の中が傷だらけになってしまう。でもうまい。
ゆっくり回る時間があるので市内一日券€4.7を買い、まずはユースのおじさんにすすめられたローマ広場に行った。博物館があり、学生証ないけど学生だと言い張って学割料金で入った。町中は怒濤の路上縦列駐車でならべられた車はことごとくボロボロだ。古い上に傷だらけ。我が部の部車はおそらくすんなりとこの景色に溶け込むだろうし軽症な部類に入ろう。
 一日券を活かして市内を一通り回った。展望台っぽいところまで上っていくと一望できた。また、最近できたっぽい商業施設で散歩していると、なにやら配っているお兄さんがいたので断ったらno no, it’s a gift for you!と言ってペットボトル入りビタミンウォーターをタダでもらった。
 遠くからみると町並みはきれいに見える。しかし歩いてよく見ると落書きはあるし崩れ落ちそうな壁はあるし堂々と糞が落ちている。うわさによるとアテネやギリシャはもっと酷くて、特に冬は街に人がおらず犬しかいなくて街中犬の糞だらけになっているらしい。

3/4
Lyon->Geneve->Lausanne
 朝、硬いパンを攻略して荷物をまとめ、ユースのおじさんに教えてもらった毎日朝市をやっているという川沿いに出向いた。野菜や果物だけでなくチーズ、肉、花などがところ狭しと並べられていて、主婦のおばちゃんっぽい人たちが猛烈にしゃべりこんだりしていた。
 さて、通勤客に混じってリヨンの中央駅に行きジュネーブ行きのチケットを買った。電車が街を少し離れるとそこにはだだっ広い平野が開けた。
スイス上陸。まず100スイスフランを換金。単価85円くらいでユーロとはまた感覚が違う。というよりむしろ以降スイスの物価の高さに驚愕することになる。
 駅を出るといきなりプリウスタクシーを見かけ、オンボロ自動車だらけのフランスとの違いを見せつけられる。ジュネーブはさらに都会で観光客が多かったので彼らに混じって教会やら土産屋の物色やらをして街を歩いた。
 街角でパンチパーマのお兄ちゃん一人に話しかけられ、日本から来たのーとかサッカーがどうのこうの言って絡まれ気づいたらカメラをリアルすられた。が、すぐに返された。お眼鏡にかなわなかったのだろうか、しかしびびった。ちょうどレマン湖が見えるところでカメラを手に持って歩いていたところだった。写真を撮っていてカメラをリアルすられた教授の話を聞きましたが、写真をとるのも命がけです。そそくさとローザンヌへ。
 着いたのは夕方だがユースで市内一日券をもらったので出かけることに。相部屋のオーストラリア人がキッチンで夕飯を作るというので同行した。また、英語をしゃべるフランス人も加えて初めてバックパッカーっぽい夕飯となった。Ankelというスイスビールが心の底からうまかった。

3/5
Lausanne->Gruyeres->Montreux->Interlaken
今日はスイス国内乗り放題券があるのでがんばって動く日。ローザンヌを離れるにつれてどんどん田舎っぽく牧歌的になっていく。これぞスイスといったところ。グリュイエールは小さな町だがのんびりしていてきれいでとてもよかった。昼飯に奮発してレストランに入ってチーズフォンデュを食べようと決めた。お店はたくさんあってまよったが、ちゃんと英語メニューがあることとunlimittedという文句に惹かれて入った。せっかくなので赤ワインを付けてみたら、チーズフォンデュ自体に大量の白ワインが含まれていたらしく、がんばっておかわりまでしたら昼間から大変なことになってしまった。
 GoldenPassという景勝列車に乗るべくMontbovon駅で一時間近く乗り換えを待った。待ちに待ったGoldenPassと書かれた電車に乗って検札を受けたらあらまー、この電車逆方向だよみたいな感じのことをフランス語で言われた気がした。実は待っていた駅で単線路線のすれ違いをしていたらしく、逆方面の電車があとから来ていたらしい。よく確認せずに乗ってしまった。。幸いこの電車の終点Montreuxで折り返せばいいらしく単純に2時間を失っただけで済んだ。
 トンネルと抜けると、そこはドイツ語圏だった。スイスの西部フランス語圏と東部ドイツ語圏の境目をまたいだ。車内はドイツ語を話す老夫婦率が異常に高かった。車窓からはEiger, Monch, Jungfrauの中央スイス三山にMatterhornも望む。そんななか贅沢にもまどろみInterlakenへ。到着が7時を回っており、リヨンに続いてユース探しに手間取る。詳しい地図を印刷してくるべきだった。今日のユースはかなりヤンキーが多く、俺日本の新宿に行ったことあるよというあるイギリス人はキミイイチチシテイルネイッショニオドラナイとかいう日本語を完璧に言った。あとはキッチンで晩飯作っているおばちゃんからずうずうしくお裾分けをもらったりして適当に晩飯とした。

3/6
Interlaken->Grindelwald->Bern->Zurich->Dubendorf
 インターラーケンから登山鉄道30分でグリンデルバルドへ上る。そこは、豪雪だった。標高の高い湖に行けば全面凍結した湖に出会えるのではという期待は裏切られ、きびしい寒さが立ちはだかった。そして車内はスキー靴をガリガリ言わせて歩くスキーヤーばかりだった。
 ところでこっちへ来てから日本人、というかアジア人に会わない。唯一会ったのがジュネーブ駅で話しかけられたベトナム人くらいだ。日本人ばかりの観光地もがっかりだけどここまで見ないのもちょっと寂しい。Grindelwaldには駅そばの立地に日本語観光案内所という謎の建物があり日本人がいた。ふつうに日本語でネットを借りた。教えてもらったアイススケート場に行くと今日はアイスホッケーの試合があるから一般はだめよと言われ、もうこの地でやることはないと確信し、去った。私にはスイスパスがある。当初の予定になかったベルンへ行くことにした。
 ベルンの観光案内所でアイススケートできる所はないかと聞くとNoとばっさり。結局市内観光へ。とりあえず地球の歩き方に載っていたアインシュタインの家に行った。それは街のメインストリートの一角にぽつんとあり、本当に知人の家に行く感じがよかった。彼はE=mc2を発表するにあたり妻の助けがなければこの仕事はなし得なかったというようなことを情熱的に述べているのにたいし、その後離婚していとこと再婚したという変わり者だということがわかった。
 チューリッヒでnkhrと合流した。その知人も近々日本へ帰るとかで知人宅にお邪魔し計4人で鍋を囲んだ。そして焼酎、日本酒が並んだ。

3/7
Dubendorf->Chur->Dubendorf
 結局1時まで飲み、nkhr宅でさらに5時まで飲んだので今日はぐだぐだコース。一応今日もスイスパスがあるので適当な距離ということでクールへ行くことに。最近寒波が再来しているらしく、今日も寒いなと思ったら実は最高気温が氷点下っぽかった。どうりで。
 電車で爆睡。電車で爆睡できるのも日本とスイスくらいだ。日曜はどの店もしまっている。たまたま開いていたマクドナルドではコーラMサイズ2本700円に仰天。日曜ではあったが出た時間が遅くて教会でのパイプオルガンの演奏なんかが、聞けなかった。チューリッヒも案内してもらった。晩飯はパスタを作ってもらい今日もかなり飲んだ。

3/8
Dubendorf
今日は営業日のため仕事にいくnkhrを見送って、自分は自転車を借りて走りに行く。問題は気温と雪。天気予報を見るに零度には到底達していない模様。ネックウォーマーを耳まで隠れるように上げて耳を守り、道路の氷の張っていない部分を選んで走る。昼間気温が上がるまでDubendorfの街を走り、1時間で街の構造をだいたい理解する。スーパーで補給食として適当なでかいパンを買う。
 今日の行く宛としてはもっとも遠くてボーデン湖、次に近いGleifensee、そして近くのスケート場。残念ながらもくろみは寒さと雪によりしぼんでいく。もっとも近いスケート場にとりあえず行くことにした。それでも十分冒険感がある。右側通行の道路で左折するのは怖く、二段階左折した。川沿いにいけば着くと教えられたその川沿いの道はみごと雪に覆われ雪上走行。雪は半分凍っていてたちが悪い。しかしこちらの雪はさらさらしていて意外にさくさくとすすむことができる。
 それっぽい施設を見つけた。スケート場は、月曜日は13時半から開放されるらしくまだ3時間ほどある。そうこうするうちに陽が高く上り暖かくなってきて走れる気がしてきた。次成る目的地Gleifenseeをめざす。おおざっぱに教えてもらった方角をめざすと道の看板にその文字を見ることができた。湖まで6キロ。
 ここまできたらこっちのもの。看板に従ってぶらっとサイクリング。湖沿いはきれいなサイクリングロード兼ローラースケーター用の道が整備されていてめちゃくちゃ走りやすい。1周20キロ程度走ったあと戻り、スケートをした。貸し靴含めて約1000円で明治神宮の1800円に比べて半額近い。スイスの物価の高さから鑑みるにこちらの人にとっては実に手軽なあそびなんだろう。
 開館直後に入るとなんとスケートリンクは無人。広さ自体は日本のと変わらないが圧倒的な自由を手に入れた。ダッシュや後ろ走行など周りを気にせず遊べた。途中で子供たちがやってきたが最大でも10人くらい。あっという間に3時間が経った。5時が近づき再び冷え込んできた。自転車に乗れるタイムリミットまでに待ちに戻り、スーパーで適当にお土産など物色し、主の帰りを待つ。Nkhr宅の寮の隣人が呼んだ留学生たちが一同に会してどんちゃんやっていた。オーストラリア人の英語は本気で英語だと気づかないほど何もわからなかった。そして今晩も白ビールとするめで夜を更かした。



出張先京都にて

続く
2010.03.21 Sun l 旅行 l COM(0) TB(0) l top ▲
ペダルふんじゃった!~大学自転車物語~
http://www.tv-asahi.co.jp/sports/pc/pedal/

髪切りに行ったら別に自転車やっているわけではない店の人がなぜか番組の存在を知っていた。
なんと番組のCMをやっているらしい。
そんなに宣伝しているとは驚きだ。
2010.03.21 Sun l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
Last Kyoto.
今度こそ。
変換 ~ DSC02435
めっちゃ天気よくて萎えます。
あと花粉も絶好調♪

昨日の飲み会場。
変換 ~ DSC02440
Uタワーはセキュリティーが何重にもなっていてびびりまくりです。
あとどのエレベーターに乗れば50階に着くのかわからなくてめっちゃきょどりました。

今日は飲みすぎてくたばりました。
ありがとうございます。ごめんなさい。

実家生活もあと二日です。
2010.03.20 Sat l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
転出届けを出しに市役所へ行った。
市役所のオフィス内では職員がせわしなく動き会話が飛び交い、窓口員はマスクをし髪型が少し乱れやや汗ばんでいるようだった。
ゆったり勤務のイメージの地方公務員も年度末は手続きの嵐で忙しそうだ。


さて、寮に冷蔵庫がないので用意しなければなりません。
転居等で幅570高さ1600奥550に収まる冷蔵庫が余っている方いませんか?
2010.03.17 Wed l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
人生が、練習したり知識を得たりする訓練の日とレースや試験の決戦の日から成るとすれば、今日は決戦の日だった。

関東近郊のスポーツ推薦のない大学自転車部が集まる合同合宿@鴨川に一日だけ参加。
修論や旅行で久しく乗っていないので粉々になるのは目に見えているが、おとといの連光寺5本と昨日の本郷までのチャリ通でお情け程度の調整をして臨んだ。あと脚の毛も剃った。結局レッグウォーマー着たけど。

まずは鴨川から館山まで海岸のフラワーラインを爆風の中高速ローテで突き進む。10人弱の集団だったが先頭に出たらすぐ交替しとにかく脚を使わないようにごまかしごまかし。いかんせん風が強くていまにも切れそうだが、こんな感覚はいままでいくどとなくあったので姿勢を保って耐える。70キロ地点のコンビニ休憩までは切れずにたどりつく。

続いて約30キロの周回2周。1周目はやはりフラワーライン並にきつく登りで少し遅れてしまったがサポートのハリアーの窓枠をキャッチして復帰する。しかし引き続いての2周目に入ってすぐの登りでジエンド。コニシくんがカーペでブーンと前へ上がっていくのを見送った。。
あとは真っ向逆風の一人旅。途中で別班で休憩中の集団に会い乗り移ろうかとも思ったが自分の班が10キロ先の道の駅で休憩することがわかっていたのでここは時間をかけてでも走りきらねばなるまいと先へ進む。
四頭筋が完全に粉砕。あーもう何も残っていない。それでも進むべしと神は言う。
このきつさ、今までで3本の指に入る。個人ロードで灰になりつつ完走した最後の5周と同じくらいきつかった。あ、そういや木祖村のコースは土砂崩れで今年は使えないそうだ。学連が代替ルートを必死で模索中らしい。

距離150キロくらい、平均時速30キロちょい

すがすがしいくらいこてんぱんにやられた。
中途半端に続けるくらいならやめておけ、とある先輩は言った。若くて強い現役たちや過去の自分とのギャップを感じたりするにつけここは自分の居場所じゃないなと思う。振り返ればいろいろなチャンスをもらいながら自分はもう自転車を十分やったなという気分になったりする。それに悔しさがわいてこないあたり前に進める気がしない。
新生活になれて仕事のストレスにさらされたときこうやって灰になりたくなるかもですが。
2010.03.16 Tue l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
ジャパニーズ?
ジャポン?
ヤーパン?
ヤパーニッシュ?
ジャポネーゼ?
リーベンレン?
ニホンジン?

いろんな日本に出会った気がします。逆に。
ニホンには米がある。コンビニがある。物価がふつう(?)。生きていける気がします。

ベネチアを朝9時に出てパリ乗り継ぎ翌朝9時成田着の便で、時差のために飛行機内で寝る必要があった。奥義”かまわず寝る”を使ったところ翌朝の今日は眠気に襲われずに済んだ。

帰宅後さっそく引越しの荷物発送立会い。帰国が一日遅れたけど間に合ってよかった。。
んで諸事情により連光寺へ。
東側歩道
1.3分40秒
2.3分50秒
3.3分55秒
4.4分00秒
5.3分50秒
今日は完全に追い風参考記録。
10日もほぼ乗っていなくて体なまった?
暖かくなって体が動くようになった?
帰り道、両ふくらはぎを攣った。

明日は館山へ強制移動。



とりあえず一枚。
変換 ~ DSC02183
チューリッヒ近郊。
2010.03.14 Sun l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
There is strike in Italy and my flight was cancelled!
So I have to stay here one more night.

Oh my god!!

People in Italy is kind and friendly more than I thought, but transportation is terrible.
2010.03.13 Sat l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
Wine and cheese are quite good!!

Chao!
2010.03.12 Fri l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
今日は自転車借りて湖を走った。
午後にスケートをした。
気温は最高0.5度。
2010.03.09 Tue l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
日本語!

今日は飲みすぎました。
2010.03.07 Sun l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
It snows so much in Gridelwald.
I tried Ice skate but the rink is occupied for ice hockey games, so just sightseeing again.
Fortunately, I have free railway pass in whole Swiss, and I add Bern to visit.

Time goes so fast in this internet cafe.
2010.03.07 Sun l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
Lyon->Geneve->Lausanne

I was so tired yesterday walking around the Lyon city.
I found myself sleep with room light on.
Today I cooked pasta and chiken and salada in dinner with Australian room mate in youth hostel.
He ate so much, and I ate too much...
My stomach became so small because I ate only some sandwiches thesedays.
Swiss beer, Anker is pretty good.
I recover.


I cannot understand French.
Here in western Swiss French is still common language, but I have some chance to speak English. That's good.


what a diary..
2010.03.05 Fri l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
i arrived Lyon.
i lent pc in cafe, and i cannot type japanese here.

1 minute cost 0.1 euro here, so just one thing.

bread is always too hard here!
2010.03.03 Wed l つれづれ l COM(0) TB(0) l top ▲
突然ですが明日から一人でバックパッカー旅行に出ます。
航空券だけとってjust goな感じにしようかとも思いましたが結局全日宿を予約した状態で出発です。
行き先は以下のような感じです。自転車はなし。イタリアのユースホステルの評価がやたら低かったのはご愛嬌でしょうか。

Lyon
Geneve 
Lausanne
Gruyeres
Grindelwald
Zurich 
Como
Milano 
Venezia

面白い見どころ、安くておいしいお店、裏スポットなど耳寄りな現地情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ではでは。
2010.03.01 Mon l つれづれ l COM(1) TB(0) l top ▲