シークレットレースタイラーハミルトンのドーピングに関する告白をまとめた本。
ドーピングは、疑わしいことではなく、日常的に行われていた。
EPOを注射してヘマトクリット値を捕まる上限の50近くに保つ。EPOはしわくちゃのアルミホイルにくるんで自宅の冷蔵庫の奥にしまっておく(客が来ても他人の家の食べかけを開いたりはしないだろう)。EPOが検出されなくなるまでの時間(グロータイム)を短縮するため、静脈に注射すること。万が一グロータイム中に検査官が抜き打ち検査にやってきたら、生理食塩水を注射して薄めること。
大会の前に500mlを数回採血して保存し、重要なステージの前日に医師と待ち合わせたホテルで輸血すること。
テストステロンは大会の前々日に取る分には問題ない。
同時に、人間の物語でもあった。鳴り物入りでプロになった後、クリーンのまま奮闘するが、ある時コーチにドーピングを勧められる。ドーピングをやるか、競技を辞めるかの二択しかないことに気づく。ハミルトンは、あなたならどうするかと問いかけ、批判する前に現実の問題として考えるよう訴える。
いくつか印象的な言葉をピックアップ。
「白い袋はチームを離れ帰路に付く選手に(スタッフから)手渡された。僕は気づいた。袋を渡される選手と渡されない選手がいる。」
「プロのレースでは薬物の力を借りずに走るのはそれほどまでに稀なことだった。”パンと水(パニアグア)”だけの力で走ったときに、あえてそれを言葉にしてしまうほどに」
「CSCのコーチは当時としては革新的な考えの持ち主だった。最低限の薬物だけで走ることを勧めた。ストレスのたまる軍拡競争に加わるなと。ツールで必要な要件は三つしかない。限りなくフィットネスを高めること。限りなく無駄な脂肪を落とすこと。ヘマトクリット値を高く保つこと。」
「ドーパーだったけど、最低じゃない。僕の物語は、狂った世界で競争をして、ベストを尽くした普通の男の物語
だ。」
「最近の自転車競技がクリーンになりつつあることはうれしい。2011年のラルプデュエズの最速タイムは2001年の40位相当だ。ただし、100%クリーンというにはほど遠く、レースが何よりも勝利を切望する人間の営みであるかぎり、それは不可能に思われる」
読んで残念だったことは、選手が貴重なトレーニング時間を割いてまで、クラッシュの手当ての時間を割いてまで、EPOの手配のために各国を奔走していたこと。この告白から数年のうちに薬物供給ルートが絶滅したとはお思えない。これからは、誰が強いかではなく、だれがうまい”方法”を考え付いたかのレースをしているのだと考えざるを得ない。
良かったことは、ドーピングは長いステージレースで特に効果を発揮すると述べられていること。エドガー(EPO)と赤い卵(テストステロン)は大きな労力による生理的な消耗を埋め合わせる。短期間のレースは比較的競技として見る価値がありそうだ。
また、思うに、最近のフランス人選手の低迷は、フランス国内での厳格なドーピング規制の中、他国の選手に負けていたと想像され、これは最後の砦のようであり、これからの活躍を期待する。
プロトンの浄化度を測る指標はもはや無い。検査側よりも隠れる側が何十歩も先を行っているからだ。強いて言えば、ツールの平均速度や峠の最速タイムが速くなったときは要注意だ。浄化を前進させるのは時間しかないだろう。ドーピングにまみれた2000年代を走った選手が全員引退し、プロになるフレッシュな選手に”方法”を勧めないこと。
とはいえ、パワーのある選手がホームランを打てるわけではないのと同じように、出力の出せる選手が勝つわけではないのがロードレース。レースの展開を見ることが面白いことに変わりはない。