スポーツ選手はなぜ不正に手を染めるのか、という本を読んだ。
古今東西あらゆるスポーツにおける様々なバリエーションのチートの例が紹介されていて興味深い。ドーピング、金(スポーツ賭博、八百長)、ルールのグレーゾーンを突く状況操作など。よく考えたものだ。
タイラーハミルトンのシークレットレースの衝撃は大きかったが、それは広大なチートの世界の一片でしかなかったようだ。特に陸上と自転車はアンチドーピングに最も積極的に取り組んでいる競技らしい。
しかしその多くが倫理的な問題をはらんでいて、一概に悪いとも言えないことがある。
他の選手には不誠実かもしれないが、要求に応えるべきチームや養うべき家族へは誠実である場合がある。
公平さとは何か。
どこで線引きするべきかは明確ではない。赤血球を増やすために、EPOはNGで、低酸素テントで寝てる間に増やすのはOKなのか。
もちろん、身体能力を向上させる技術的な進歩にあわせてルールは変化するべきという。
体への悪影響というのはあまり基準にならないと思う。彼らはすでに命を削って走っているから。
一概には決まらない賢いプレーとチートの線引きは、最終的に観客、ファンによって判断されるという。ルールと不文律の下での勝利に価値がある。決まりがあまりに破られるようではファンは冷める。
純粋にスポーツがもっと見るのもやるのも盛んになって、スポーツ選手の価値が上がってほしいなと思う。
見る上で確かに公平さは必要だし倫理を考えるのもいいけど、まずはそのスポーツをやってみれば見る方も楽しめるのでは。見るときに、特に自分がそのスポーツをやっていると見るポイントが増える。ドーピングにまみれた自転車レースは見る価値がないのかというとそんなことはない。同じ展開のレースはない。
やる人を増やすには環境も大事だけど、まずは教育ということで選手たちの奇跡的な逸話なんかを学校の教材にするとインスパイアされるではと思ったり。
別に体育でなくとも国語でも英語でも、それこそ倫理でもいい。
さらに言えば二酸化炭素を増やさずにQOLを上げる良いネタと思う。