生物から見た世界を読んだ。
世界は見えるようにしか見えない(センサーで捉えられる解像度で知覚される)。
ゾウリムシは、
繊毛で進む
if 前に障害物 then 曲がる
if 前に食べ物 then 食べる
くらい単純だけれども、ぶれのない世界にいる。
複雑な生物になると、対象をどう見るかはその生物の主観的な気分にもよる。
腹が減っていれば思わぬものが食べ物に見えることもある。
対象がセンサーでどう知覚されるかと、それを自分がどう認識するかはループしていて、自分と対象の間に環世界を築く。
大木に集まる生き物たちを考えると、キツネにとって大木の根は硬い家であり、カミキリムシにとって大木の樹皮は柔らかい産卵場所である。対象としての大木の特性は矛盾しているが、別々の環世界があると考えられる。彼らに主体としての大木を認識することはできない。
自然研究者の環世界を取り出してみると、天文学者、原子物理学者、エーテル研究者で自然の捉え方は違う。行動主義心理学者の環世界では肉体が精神を産み、心理学者の世界では精神が肉体を産む。彼らに主体としての自然は認識しえない。
生物の話と思っていたら、人間の話になり、自然の話に広がって驚いた。世界は見ようと思うように見える。自分の考えに合う実験結果(だけ)を集めてくることもできる。最後は信念だといういつもの流れか。